なぜ中高年男性の性犯罪が増えているのか ― オナ禁視点から考える

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昨今のニュースでよく目にするのは、50代・60代、あるいはそれ以上の世代による性犯罪事件


しかも警察官や教師といった立場の人間までもが若い女性、時には10代20代の娘たちに手を出して逮捕される事例が後を絶たない。

なぜこうも中高年世代の性犯罪が増えているのか。


道徳観の崩壊と片づけるのは簡単だが、もっと深い背景があるように思われる。


オナ禁者の視点から、この問題を考えてみたいと思う。

中高年世代に広がる「性の暴走」

中年以降の男性は、若い頃よりもむしろ欲望の扱いが難しくなる傾向がある。


家庭や社会での役割を終えつつある時期、孤独や承認欲求の欠乏が強まる中で、それを性欲で埋めようとする。

「若さを取り戻したい」「まだ自分は男だ」と示したい気持ちが、歪んだ行動につながりやすいが、それが近年、目立つようになった一因だとも考えられる。

ポルノとエロメディアの影響

そしてもうひとつ無視できないのが、ポルノとエロメディアの影響だ。


今の50代60代の世代の若い頃には既に、本格的な商業アダルト雑誌やビデオが爆発的に広まり始め、その後ネット時代を迎えて無制限の刺激に晒されてきた。

その結果、性的な刺激に対する「耐性」が落ち、現実世界においてもさらに強い興奮を求めるようになったが、その初めての世代であるともいえる。


特に「若い女性」への執着は、メディアが作り上げた虚像を追い続けてきた結果でもあるが、ロリコン雑誌とかも80年代には既に沢山存在していた。

ポルノは単なる娯楽ではなく、前頭葉を破壊して、人の欲望を形作り、歪めてしまうものが、それが何十年も積み重なれば、行動にまで影響を及ぼすのは当然といえるでしょうが、今の50代くらいはこれらの実験をもろに受け始めた最初の世代だともいえる。

衰える精力と満たされない心

年齢を重ねると精力は衰えては行くが、しかし、性欲そのものは必ずしも弱まるわけではない。

むしろ「思うようにならない身体」と「まだ衰えを認めたくない心」の矛盾が、欲望を暴走させるという一面があると思う。

「今のうちに」「これが最後のチャンス」という心理が働き、常識では考えられないような行動を取ってしまうが、そこには、性を制御できない中高年の脆さが露呈している。

社会構造的な背景

さらに社会的な背景も見逃せない。


かつての日本社会には、家族や地域コミュニティの目があった

村社会において性教育とは村全体でやっていたという一面があるし、夜這いのような風習もあったり、性とはもっと男女の直接的なコミュニケーションとして機能していたと思う。

映像メディアで抜くように仕向けられて、オナ猿にされるようなことがまだなかった時代。


しかし現代では人と人とのつながりが薄れ、孤独な中高年男性が増加している。

誰からも監視されない、誰にも必要とされていないという感覚は、人を道を外させる要因にはなり得る。


そこに性欲が絡むと、「誰も見ていないから」「自分は特別だ」という甘い認識が生まれ、犯罪へとつながってしまうのではないのか。

オナ禁からの示唆

ではどうすればよいのか。


これはオナ禁を続けないとわからないことだが、性エネルギーをいかにコントロールするかが人生後半を決定づけるということだと思う。

オナ禁やヨガやタオの実践は、衝動をそのまま発散するのではなく、内的エネルギーとして循環させる訓練だ。


性を「快楽の出口」にしてしまうのか、それとも「力の源泉」に変えるのか。
その違いが、中高年男性の生き方をも大きく分けるといえるでしょう。

中高年男性による性犯罪の増加は、単なるモラルの欠如ではなく、性エネルギーの扱いを誤った結果だとも言えるが、誤るように3S政策の一つによって意図的に誘導されたということだ。


長年のポルノ漬けにより破壊されかけた脳、そこから来る孤独や承認欲求の歪み、そして衰えゆく精力と満たされない心、これらが絡み合って、益々おやじたちは性の悲惨な奴隷と化して行く。

性を修養の道具として扱う視点は大切だと思う

ここから考えないと、日本再生の道はもはや無理なところまで来たと言っても過言ではないでしょう。


オナ禁は単なる我慢ではなく、暴走する性を自分の力に変える道でもある。

中高年の私たちにとって、これは避けて通れない課題というか今や死活問題だと思う。

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