―― 精エネルギーを奪う文化革命の構造
はじめに
ロック音楽、ドラッグ、フリーセックス。
それらは長らく「自由」「反抗」「解放」の象徴として語られてきた。
しかし、オナ禁とタオ思想(精・気・神)の視点から見たとき、
この三つが同時に流行した1960年代以降の文化には、
まったく異なる輪郭が浮かび上がってくる。
本稿では、ロック革命とカウンターカルチャーを
「若者の精エネルギーはどこへ向かったのか?」
という一点から再検証する。
これは陰謀論を断定するための文章ではない。
文化と身体、快楽と無気力のあいだに横たわる構造を、
静かに見つめ直すための試みである。
この記事は、ロック音楽・ドラッグ・セックス文化を
「オナ禁」と「タオ思想(精・気・神)」の視点から再検証する試みである。
ここで扱うのは、単純な善悪論や陰謀の断定ではない。
文化や娯楽が、人間のエネルギーと意識にどのような影響を与えてきたのかを、
構造として眺め直すことが目的だ。
かくいう私自身、若い頃はビートルズやレッド・ツェッペリンといったクラシックロックから、
90年代のグランジまで深く傾倒してきた一人である。
だからこそ、一度はこのテーマを自分なりに掘り下げてみたいと思っていた。
第1章:タビストックと「文化操作」としてのロック革命
1960年代、欧米の若者たちはロックと共に一つの「洗礼」を受けた。
エレキギターの歪んだサウンドと重いビート。
そこにLSDやマリファナといったドラッグが組み合わさり、
「意識を拡張する体験」が新しいライフスタイルとして広まっていった時代である。
フラワームーブメントやヒッピー文化に象徴されるカウンターカルチャーは、
「愛と平和」「権威への反抗」を掲げながら急速に拡大した。
サンフランシスコ、ロンドン、ニューヨークには、
長髪にジーンズ、ビートルズやストーンズのレコードを抱えた若者たちが溢れていった。
ロックは単なる娯楽音楽ではなく、
「旧い価値観からの解放」そのもののサウンドトラックとなっていく。
ドラッグと結びついたサイケデリック・ロックは、
意識と社会を同時に揺さぶる装置として機能し始めた。
1. タビストックという「影の研究所」
1960年代のブリティッシュロック隆盛の背景を語る際、
しばしば名前が挙がるのが タビストック研究所 である。
1922年、英国で設立されたこの研究所は、
表向きには精神病理学や臨床心理学の世界的拠点として知られている。
一方で、英国王室や財界と深く結びつき、
大衆心理やプロパガンダ研究を行ってきたという指摘も存在する。
第二次世界大戦中、心理戦や世論操作の技術は飛躍的に発展した。
戦後、それらの技術が完全に消え去ったとは考えにくい。
敵国の士気を砕くために用いられた手法が、
「平和な社会」の内部へと応用されていった――
そう見る研究者やジャーナリストがいるのも事実である。
もちろん、タビストックとロック文化の関係については、
公文書ですべてが裏付けられた公式見解ではない。
常に「一説では」「可能性として」という留保がつきまとう。
しかし少なくとも、
- 大衆心理と行動パターンが体系的に研究されていたこと
- 教育・メディア・文化を通じて社会を誘導しようとする試みが存在したこと
この二点については、歴史的事実として広く認識されている。
その延長線上で、
「音楽」や「ロック」が利用されていたとしても、
決して荒唐無稽とは言い切れない。
2. EMI:軍需と音楽の交差点
ビートルズを世界へ送り出した企業のひとつに、
EMI(Electric & Musical Industries) がある。
EMIはレコード制作だけでなく、
レーダーや通信機器などの軍事関連技術にも関わっていたとされる企業だ。
一見すると無関係に見える軍事技術と音楽。
だが、その根底には「周波数」と「振動」という共通項がある。
レーダーやソナーは、特定の周波数を発信し、その反射を測定する技術である。
音楽制作もまた、周波数と波形の組み合わせによって、
人間の感情や意識に強く働きかける技術だ。
国家レベルで
「人間の感情を最も揺さぶる音」
「特定の心理状態を誘導するリズム」
を研究するとしたら、軍事分野と音響分野が交差するのは、むしろ自然な流れとも言える。
重要なのは、「EMIが軍需もやっていたから陰謀だ」と短絡的に決めつけることではない。
軍事と音楽が同じテーブルに載ったとき、どのような応用可能性が生まれうるのか。
そこに目を向ける必要がある。
ブリティッシュ・インヴェイジョンは、
単なる音楽ブームではなく、
文化的な影響力を持つ現象だった。
3. LSDとフリーセックス
―― 自由の顔をした「エネルギー拡散装置」
60年代カウンターカルチャーを象徴するキーワードは、
ロック・ドラッグ・セックスの三つである。
一見するとそれは、
抑圧的な価値観からの解放であり、人類がより自由で創造的になるための革命のように見える。
だが、タオ的、そしてオナ禁的な視点から眺めると、別の側面が浮かび上がってくる。
タオでは、人間のエネルギーを
精・気・神 の三層で捉える。
- 精(Jing):性エネルギー・生命力の源
- 気(Qi):感情・行動力・日常の活力
- 神(Shen):意識・精神・直観
本来これらは、精を蓄え、気へと高め、神へと昇華していく流れを持つ。
しかし、ドラッグとフリーセックス、そして強烈なロックのビートが組み合わさると、
この流れはしばしば逆転する。
- 精が浪費される
- 気が乱れ、感情が不安定になる
- 神が曇り、現実感が弱まる
表向きは「解放」を謳いながら、内実ではエネルギーが削られていく構図が生まれる。
もしロックとドラッグとセックスが、
意識の進化ではなく、
政治や現実から関心を逸らし、
快楽と幻想の中に個人を閉じ込める装置として
機能していたとしたらどうだろうか。
タオの地図で見れば、それは精を散らし、気を乱し、神を曇らせる
極めて効率的なパッケージだったとも言える。
4. 「実験」の被験者としての世代
ロック・ドラッグ・フリーセックスが広がった世代には、共通したパターンが多く見られた。
- ロックに熱狂する
- ドラッグで意識を拡散させる
- 性的快楽でエネルギーを消耗する
- 虚無感や無気力に陥る
これは個人の失敗談というより、世代全体に現れた文化的傾向と見ることもできる。
ここで重要なのは、「黒幕は誰か」を断定することではない。
問いはもっとシンプルだ。
- 何が精と行動力を奪ってきたのか
- なぜ無気力が広がったのか
- それは自然発生だったのか
これらを考えるとき、ロック文化はまったく違った姿を見せ始める。
5. ここから先へ
―― タオとオナ禁から見たロックの再評価
ロックや音楽そのものが、悪だと言いたいわけではない。
問題は「使い方」と「向き」である。
精を散らすための刺激として使うのか。
内なる炎を整え、意識を澄ませるために使うのか。
オナ禁とタオの実践は、この流れを逆転させる試みとも言える。
精を守り、
気を整え、
神を澄ませる。
そうすることで、同じロック音楽であっても、まったく違った意味を持ち始める。
第2部では、
ロックのビート、ドラッグによる意識変容、
フリーセックスとポルノによる性エネルギーの消耗が、
どのように絡み合い「精の漏れやすいライフスタイル」を
設計していったのかを、より身体レベルで掘り下げていく。
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